井上ひさし

井上ひさし(いのうえ・ひさし)

1934年、山形県東置賜郡川西町( 旧小松町) 生まれ。作家・劇作家・こまつ座代表。仙台文学館初代館長。

井上ひさし色紙.jpg 座右の銘が書かれた色紙。
 5歳のときに父を病で亡くし、その後母に育てられるが、中学三年のときに母の仕事の都合で仙台の養護施設に預けられる。仙台第一高等学校を経て上智大学外国語学部フランス語科卒業。在学中から浅草のストリップ劇場フランス座の文芸部兼進行係となり、台本も書きはじめる。戯曲「うかうか三十、ちょろちょろ四十」が芸術祭脚本奨励賞を受賞

 1964年には、その後5年間におよぶNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(山元護久との共作)の台本を執筆し、子どもたちを中心に多くの人々に愛された。1969年には、劇団テアトル・エコーに書き下ろした「日本人のへそ」で演劇界にデビューする。

 1972年、江戸戯作者群像を描いた「手鎖心中」で直木賞を受賞。同年、「道元の冒険」で岸田戯曲賞と芸術選奨新人賞も受賞。 以降、戯曲・小説・エッセイなど多才な活動を続けて、戯曲「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞(戯曲部門)、小説「吉里吉里人」で日本SF大賞、読売文学賞(小説部門)など、数々の賞を受賞している。

hataage.jpg旗揚げ公演 「頭痛肩こり樋口一葉」チラシ(1984年4月)

 1984年に「こまつ座」を旗揚げし、「頭痛肩こり樋口一葉」「きらめく星座」他多くの戯曲を書き下ろし、「昭和庶民伝三部作」でテアトロ演劇賞、「シャンハイムーン」で谷崎潤一郎賞、「太鼓たたいて笛ふいて」で毎日芸術賞・鶴屋南北賞などを受賞。

taiko_tataite_fuefuite.jpgこまつ座第87回定期公演「太鼓たたいて笛ふいて」チラシ(2008年12月)
 1997年に、新国立劇場のこけら落とし公演として「紙屋町さくらホテル」を執筆。その後も東京裁判三部作「夢の裂け目」「夢の泪」「夢の痂」他を書き下ろし上演。
 2009年3月には話題作「ムサシ」を書き下ろし上演し(演出:蜷川幸雄)、好評を博した。新作は2009年10月上演の「組曲 虐殺」。


※参考文献『ナイン』(井上ひさし著、2000年、講談社)巻末所収年譜、『国文学解釈と教材の研究 野坂昭如と井上ひさし』(1973年12月)
 『井上ひさし伝』(桐原良光著、2001年、白水社)、こまつ座作成「井上ひさしプロフィール」

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本の運命表紙.jpg『本の運命』(1997年 文藝春秋) 自分の生い立ちをふり返りながら、ほんとのかかわり、そして生まれ故郷の「遅筆堂 文庫」誕生の経緯などをまとめた一冊。
 本と野球と映画――、それが僕にとっては決定的でした。結局僕は、小さい頃の記憶にある本や文房具、レコード、映画、それから物置にあった野球の道具とか、そういうものをもう一度身のまわりに集めようと思って、後の半生を生きてきたような気がする。つまり、あの山形のちっちゃな店を自分のまわりにもう一度、建てようとしてる。そういう運命にあったんですね。

 幼児期の記憶というのは恐ろしい。父親がいて母親がいて兄弟がいて、この世のスタートはまあ天国みたいなものです。僕の場合、父親が死んでからこの天国がガタガタッと崩れていっただけに、生涯かけて幼児期の記憶へ戻ろうとしてるように思います。

『本の運命』

hikarigaoka_tenshien.jpg      井上ひさしが暮らした当時の光ヶ丘天使園

 ラ・サール・ホームは天国、という言い方をしていますが、それでも、毎日、夕方になると、五分間ぐらい、シーンと鎮まりかえってしまう時間帯がありました。わたしたちのいる建物は丘の上にある。丘の下には市営住宅がびっしりと並んでいる。その住宅街に炊事の煙が夕方の空に紫色に棚曳いていて、あちこちから、「……ごはんだよ」「――おにいちゃんを呼んでらっしゃい、ごはんだよって」……と、お母さんたちの声があがる。それが丘の上までよく聞こえてくるんですね。それこそは「家庭」の声だったわけで、その瞬間、ホーム全体がふっと沈み込む。われわれは小さな旅人であるという想いが胸にどっとあふれてくる。あの光景が好きでしたね。いまでも夕方になると思い出します。お前の人生を象徴する光景を三つ掲げよといわれたら、迷わずこの光景を最初に掲げます。

「ひろがる世界、さまざまな言葉」
『国文学解釈と鑑賞別冊 井上ひさしの宇宙』

asakusa_furansu_za.jpg『浅草フランス座の時間』(2001年 文春ネスコ)
井上ひさしが舞台の基礎を学んだ浅草フランス座のすべてを、当時の写真や台本、関 係者の証言などでたどる一冊。

 フランス座に入ってから、支配人がなぜぼくに字を書かせたかわかった。ぼくの主な仕事は文芸部員は文芸部員でも台本のガリ版切りだったのである。
 ガリ版切りの仕事がないときは進行係をつとめた。幕を上げ下げし、舞台中央のマイクを上げ下げし、踊子の食べたラーメンの丼を上げ下げし、暗転の数秒間の暗闇の中で小道具を上げ下げし、吊り物を上げ下げし、踊り子が出とちをしないように楽屋につながる呼出しベルのスイッチを上げ下げし、なんだか知らぬが、上げ下げばかりしているのが仕事であった。

『モッキンポット師の後始末』

the_kura_soukan.jpg『the座』創刊号 (1984年 こまつ座) こまつ座発行の季刊誌。公演情報にとどまらず、様々な特集を組んでいる。

「日本の台詞劇確立の過程において、じつに小さな踏み石となりたい」
これができれば、こまつ座に力をかして下さっている芸術家の皆さんに、そしてお客様に、たとえその万分の一であっても御恩返しができるのではないかとひそかに心を定めております。

『the座』32号

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「プロテスト・アンド・サーバイブ(抗議せよ、しかして生き延びよ)」……わたしはこの名言にひとつ言葉を足しました。それは「記憶せよ、抗議せよ、しかして生き延びよ」というので、この一行をそっくり戯曲にしたのが『父と暮せば』です。



w30.png『父と暮せば』各国翻訳本(文藝春秋) 1994年に初演され、大きな反響を呼んだ「父と暮せば」。国内のみな らず、フランス、ロシア、中国など各国でで上演、リーディングされ、英・独・伊・ 中国語・ロシア語対訳本が刊行されている。

「ひろがる世界、さまざまな言葉」
『国文学解釈と鑑賞別冊 井上ひさしの宇宙』